「消費税を守ることが、国民を守ることになる」?
夕方、仕事終わりに職場で少しスマホを見ていたときのこと。
ふと見たニュースの見出しに、目が止まりました。
「消費税を守ることが、国民を守ることになる」──。
そう語ったのは、自民党の森山幹事長。
鹿児島の講演会での発言だそうです。
読み進めると、「政治生命をかけて守っていく」とも言っていたとか。
選挙戦に入るこの時期に、税についてここまで強く断言することに、ある種の覚悟のようなものを感じました。
でも、わたしの中には、少しだけ引っかかりが残りました。
たとえばスーパーで買う毎日の食材。
コンビニでちょっとしたおやつ。
そのどれにも、きちんと税はかかっていて。
わたしたちの暮らしに、しっかり入り込んでいる存在です。
わたしのまわりにも、「値段はそのままでも、内容量が減ってる」とか、「キャッシュレス還元がなくなって地味にきつい」とか、日々の小さな声がたくさんある。
それを思うと、「消費税を守る=国民を守る」という言葉が、少し遠くに感じられてしまうのです。
社会を支える仕組みとしての「消費税」
もちろん、消費税は社会保障のための安定財源。
少子高齢化が進む日本では、その必要性に根拠があるのも理解できます。
「逆進性がある」という批判もあるけれど、それでも安定した税収として、医療や年金、介護を支えている現実がある。
そうしたルールや仕組みのうえで、わたしたちの暮らしは成り立っているのだと思います。
わたしが感じた“守る”ということばの意味
ニュースを見たあと、帰り道にこんなことを考えていました。
本当に「国民を守る」というのは、生活の実感に寄り添うことじゃないかなって。
たとえば、小さなお店がちゃんとやっていけるようにとか、 高齢の方が薬代を気にせず病院に行けるようにとか、 保育園に通う子どもたちに温かい給食が届くようにとか。
そういう、ひとつひとつの具体的な場面に、やさしい視線が届いているのか。
それが「守る」という言葉のなかに、どれくらい含まれているのかが、わたしには気になったのです。
問いかけてくれる言葉として
「消費税を守ることが国民を守ることにつながる」──。
この発言は、賛否を呼んでいます。
ある人は「的を射ている」と言い、またある人は「的外れ」と言う。
でもわたしは、どちらかにすぐ分かれるより、その言葉の中にある“温度差”のようなものに耳を澄ませたいと思いました。
誰の生活を想定しているのか。
その「守る」は、どういう人に向けられているのか。
そんな問いを、自分のなかで育てていく時間も、大切な“政治との向き合い方”のように思えたのです。