場面緘黙症――声の奥にある思い
誰かと話したいのに、声が出ない。
言葉を知っているのに、口が動かない。
場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)は、そんな「話せるのに話せない」状態が続く心の症状です。
家では笑いながら話せるのに、学校や職場では一言も話せなくなる。
周囲からは「恥ずかしがり屋」や「無口な性格」と見られることもありますが、本人の中では、緊張や不安が身体ごと固まってしまうほど強く働いています。
静けさの中にある“声”
場面緘黙症の人は、決して言葉を失ったわけではありません。
家族や信頼できる人の前では、穏やかに会話ができることが多いそうです。
けれど、環境が変わったり、注目される場面になると、声が喉の奥で止まってしまうのです。
その静けさは、ただの「沈黙」ではなく、恐れや緊張が絡み合った、深い沈黙です。
無言のまま時間が流れていく中で、「話せない自分」を責める気持ちだけが残ってしまうこともあります。
必要なのは、“話さなくてもいい”という安心
この症状に対して大切なのは、無理に「話そう」とさせないこと。
安心できる空間で、うなずく・メモを書く・視線を合わせるなど、小さなサインを受け止めてもらうことが、回復の第一歩になるといいます。
声を出すことだけが「コミュニケーション」ではありません。
伝えようとする気持ちを、周囲が見逃さずに感じ取る。
その経験が、少しずつ「話しても大丈夫」という感覚へとつながっていくのです。
“話せない声”を聞くということ
わたしたちは「話すこと」に安心を求めがちです。
でも、声が出ない人の中にも、確かな言葉が生まれています。
その言葉は、空気の中には出てこないけれど、目線や仕草の中に息づいているように感じます。

話せない中に、どれほどの勇気や努力が隠れているのか。
それに気づくことができたら、人との距離は、きっと少しだけ優しくなるのかもしれません。
おわりに
場面緘黙症という言葉を知ることは、“沈黙にも意味がある”と気づくことでもあります。
声にならない思いを抱えている人に、「話さなくても大丈夫」と伝えられる社会でありたい――
そう願いながら、穏やかな午後にこの文章を書いています。









